まるちゃんの気まま旅日記 本文へジャンプ
 

臨済宗 見性寺
(けんしょうじ) GoogleMap



見性寺(けんしょうじ)の沿革
当寺は京都五山の一つ、七朝(しちちょう)の帝師夢窓(むそう)国師開基臨済宗大本山相国寺(しょうこくじ)派に属する。
1,000年前書写山開基性空上人(しょうくうしょうにん)、弥陀三尊(みださんぞん)を彫像(ちょうぞう)してここに正法寺(しょうほうじ)を建てられ、天台宗。世故変移(せいこへんい)して衰滅(すいめつ)し、700年前、弘安6年、禅門の玄海和尚(げんかいおしょう)復興後、相国寺(しょうこくじ)の在中和尚(ざいちゅうおしょう)再建、寺名を見性寺(けんしょうじ)と改め、大いに禅風を挙ぐ。
応永中、将軍義持が荘園(しょうえん)の年貢を寄せられ、赤松則村、足利高氏と本堂一室にて、北条討幕を議したという。
(現地案内板より)

見性寺
室津の遊女の長・室君が建立した精舎の一つといわれています。昔から文人墨客が室津に寄港すると必ずこの寺を訪れたといいます。寺宝に毘沙門天像があります。平安藤原時代のものとして、国指定重要文化財になっています。
(室津観光案内板より)

毘沙門天王 国指定重要文化財
約1,000年前室津の海中より夜々光輝を発し現われる。
毘沙門天は常に佛の道場を守り、多くの経説を聞かれる所から多聞(たもん)、又は普門(ふもん)と訳され、四天王のうち特に威力の尊ぶべきを崇めて、多聞天だけは単独的に崇拝され七福神中では威力の尊ぶべきを教えられる。
忿怒(ふんぬ)の像でありながら、全体的に柔らかく物静かな感じが出ており、平安後期の制作であろう。
(現地案内板より)

見性寺毘沙門天立像
通例の毘沙門天は宝塔を捧げる姿で表されていますが、見性寺の像のように宝塔を持たないで右手を腰部にあてています。それは、自身を宝塔とみなして宝塔を捧げるのと同じ意味です。
つくりはクスノキの一本造りで内刳りは施されておらず、眼はカッと見開いて、忿怒の形相をしていますが、その表情は穏やかで動静も抑えられています。胸の厚みをやや減じるものの、一本造りらしい堂々たる作風を示しています。
制作年代は平安時代後期と考えられています。
この像の公開は原則として、毎年の3月17日から21日の毘沙門祭と室之津祭当日の時になっています。
     平成11年3月 御津町教育委員会
(現地案内板)

  



まるちゃんの気まま旅日記ホームへ