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月照寺 GoogleMap



月照寺大圓庵
一万坪に及ぶ広大な境内には、初代松平直政公から九代斎貴(なりたけ)公に至る藩士の墓である松江藩主松平家廟所(国指定史跡)がある。
ここ月照寺にある茶室は、昭和29年に本堂を再建した時に建立されたもので、四畳半本勝手の茶室であり、七代藩主松平治郷(はるさと)公こと不昧(ふまい)公の庵号「大圓庵」より命名されたものである。
前庭の織部燈籠と棗形手水鉢は茶聖利休居士から賎ヶ岳七本槍、武将として名高く安芸備後五十万石の城主に任ぜられた福島正則公が譲受け、更に福島正則公の元家臣であり、松江藩の筆頭家老職についた大橋茂右衛門に伝えたものを不昧公が懇願され、長い間江戸の松平本邸にあった。戦後昭和25年、廃邸にともない大橋家に返却されたものを、茶室大圓庵建立時に当寺に寄進された、由緒正しきものである。
不昧公の命日(4月24日)に近い日曜日には、茶筅供養が営まれる。
松江の茶の湯
松江では、江戸時代から茶の湯は武家の嗜みとされ、我々の藩士もとりくんできました。特に七代藩主の松平不昧公は、茶人大名として著名であり、藩内の町民にも茶道を普及させました。
このため、現代の松江でも、多くの家庭で日常的に薄茶が楽しまれ、和菓子の消費量も全国有数であるなど、「お茶文化のまち」として知られています。

                                                     

松江茶の湯文化 ゆかりの地
菅田庵 菅田町0852-214288 明々庵 北堀町0852-21-9863 月照寺 外中原町0852-21-6056 
普門院 北田町0852-21-1095

小泉八雲ゆかりの地 月照寺
月照寺は小泉八雲の大好きな寺であった。おそらく何回もこの静かな境内に佇んでいたことと思われる。
婦人の思い出によれば「一番好きです。私もここに埋めてほしい。」と言ったとのことである。洞光寺とともに著書の中に出てくる。
明治29年8月東大赴任直前にこの寺を訪れたのが最後となった。この墓所の大亀が夜な夜な隣の蓮池を散歩したという怪談を書いている。
   著書 知られぬ日本の面影・杵築のことども (社)松江観光協会

月照寺は、もと禅林のお寺で、洞雲寺と称したが、松平直政公(徳川家康公の孫)が生母月照院の霊牌を安置するため、寛文4(1664)年、浄土宗の長誉上人を開基として、蒙光山月照寺と改称復興したものである。第二代綱隆公は父直政公の遺命により廟所を営み、山号を歓喜山と改めた。以来、松江藩主松平家の菩提所ならびに念仏道場として、江戸時代200年間、松江城下寺院の筆頭の格式を誇り尊崇をうけてきた。
一万坪に及ぶ霊域には、九代にわたる藩主の廟が整然と鎮座しその廟門には、それぞれの時代の特色が見られ、匠の精魂を傾けた跡が遺憾なく示現されている。
また境内には、歴代の藩主ならびに奥方の奉献による刀剣、染織、絵画、仏具などを展示した宝物殿も公開されている。

松平家系譜
徳川家康ー結城秀康(ひでやす)−
初代 高真院 松平直政(なおまさ)   寛文6年(1666)66歳没ー
第2代 宝山院 綱隆(つなたか) 延宝3年(1675)45歳没ー
第3代 隆元院 綱近(つなちか)  宝永6年(1709)51歳没ー
第4代 源林院 吉透(よしとお)  宝永2年(1705)38歳没ー
第5代 善隆院 宣維(のぶずみ)  享保16年(1731)34歳没ー
第6代 天隆院 宗衍(むねのぶ)  天明2年(1782)54歳没ー
第7代 大圓庵 治郷(はるさと)  文政元年(1818)68歳没ー
第8代 月潭院 齊恒(なりつね)  文政5年(1822) 32歳没ー
第9代 齊貴(なりたけ) 直指庵 文久3年(1863)49歳没ー
第10代 松江院定安(さだやす)  明治15年(1882)48歳没                                                                 
 現地案内板より

  
現地案内板



直政公御廟 月照寺境内 不昧公御廟
天隆公寿蔵碑 本堂 高真殿
宝物館 直政公生母月照院様の墓 月照寺境内



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