まるちゃんの気まま旅日記 本文へジャンプ
 

児島高徳御墓所



坂越浦船岡園 児島高徳御墓所ご案内
備後三郎児島高徳は、備前(岡山)児島字林、五流尊院四世頼宴大僧正の三男に、正和元年(1312)誕生しました。
約650年の昔後醍醐天皇は、鎌倉幕府に捕らえられて隠岐の島へ配流されました。天皇を救出しようと、児島高徳と和田範長の一行は後を追い、「院の庄」でようやく合流、暗夜にまぎれて高徳一人が行在所に忍び込み、桜の幹に「十字の詩を書き残し、傷心の天皇を慰め勇気づけました。
「天莫空勾踐時非無氾蠡」(天コウセンを空うすること勿れ、時にハンレイ無きにしも非ず)
建武の中興(1338)以後、備前(岡山)熊山城の野戦で高徳は落馬、重傷となりました。一行は東方に陣する官軍に合流しようと坂越浦に到着、高徳は、妙見寺で養生し、回復のあと、四国、淡路島方面の豪族達を味方につけ、上洛軍を導く作戦に出陣しましたが、正平20年(1365)5月13日、坂越浦で54歳の生涯を閉じました。
明治天皇は、南朝の忠臣 児島高徳卿に従三位の位階を追贈されました。
大正3年(1914)5月13日、坂越浦の旧家奥藤謹治氏を会長とする児島贈従三位旧跡保存会により、船岡園を設置し、墓前祭を執り行っています。
     児島高徳顕彰会





備後三郎(児島高徳)の碑 児島高徳の墓



まるちゃんの気まま旅日記ホームへ