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姫路神社 GoogleMap



姫路城鎮護 姫路神社御由緒
徳川内府大政を奉還し、王政復古の大号令が発せられ、明治維新を迎える。
明治4年、廃藩置県の改革成るに及んで、姫路藩10代、120年余、世々領主として善政に勧められた酒井家も為に、東京移住を令せられたのであります。
茲に、恩恵に浴した領下四民は、欽慕の情止み難く、旧藩臣大年寄、大庄屋等発起し、相諜って、神東郡姫路本町50、51、52番の合併地588坪余を取得し、明治12年1月、官許を得て社殿を創建、酒井家遠祖新田義貞公の裔、烈祖正親公を奉祀し、報本反始の誠を致したのであります。
明治17年3月、県社に加列せられ、春秋の祭儀も次第に多様盛大を極め、御霊社の呼称と共に、姫路市民の精神的支柱としてその尊崇を集めてまいりました。
然るに、この地は民家に隣接し、且つ狭隘なるを以て、大正14年11月、広く市民の奉賛を得て、縁故深い姫路城内官有地、1974坪余を大蔵省より買受け、社殿を新築、昭和2年6月御遷座、爾来奉斎して今日に至るのであります。
偶、当地は姫路城天守閣の東北隅の要地を占め、春は桜花爛漫、秋は紅葉彩る神域にして、まさに姫路城鎮護神社に応しい立地を兼ねるというべきであります。
昭和36年10月、酒井藩歴代城主を配祀し、名実共に姫路城鎮護神社として鎮座されるのであります。

境内社 寸翁神社
姫路藩経国済民の先覚者。河合寸翁命を祭祀する。
河合寸翁命は、播州一円の産業の開発、経済の振興に多大の貢献があり、現在の大姫路市の産業発展の基礎を確立された。
又、仁寿山黌を起し、碩学頼山陽、大国隆正らの学者文人を招聘するなど、文学振興の祖とも讃仰する郷土の偉人である。昭和32年、商工産業界の奉賛により社殿の造営なる。

境内社 岩倉稲荷神社
農工生産の神と仰ぐ倉稲魂大神を祭祀する稲荷社。古来より姫路市坊主町鎮守として奉斎したが、大正14年、御神縁あって当社境内に御遷座された。節分追 式、湯立等の神事が奉仕される。





参道 本殿 岩倉稲荷社



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